駄文

個人的備忘録

自殺で亡くなった方の遺書に思うこと。

先日、某アイドルが自殺した。

ここではあえて詳細に触れない。

 

気になったのは彼の残したとされる遺書の内容。

引用部分も長いから飛ばしてもらっても構わない。

 

(※はてなブックマークのコメントへの返信を追記しました。返信方法がよくわからないネット音痴なので本文にて失礼します!)

 

以下Twitterの投稿から引用。

 

僕は内側から故障した。
少しずつ、僕をむしばんでいた憂鬱が、最後には僕を飲み込み
それに打ち勝つことが出来なかった。

僕は僕を憎んだ。途絶える記憶を手にして、いくらしっかりしろと叫んでみても答えはなかった。詰まる息を楽にしてあげられないのなら、いっそのこと止まったほうがいい。
僕の責任をとれるのは誰かと聞いた。

お前だけだ。僕は完全に一人だった。終わらせるという言葉は簡単だ。終わらせるのは難しい。
その難しさで、今まで生きてきた。
逃げたいと言った。そう、僕は逃げたかった。僕から。お前から。
そこにいるのは誰かと聞いた。僕だと言った。そして僕だと。もう一度僕だと言った。

何でしきりに記憶をなくすのか聞いた。性格のせいだって。そうですか。結局は全て僕のせいなんですか。気づいてほしいと思ったけど、誰も知らなかった。僕に会ったことがないから、僕がいるかどうかも知らないのは当たり前。
何で生きるのか聞いた。ただ。ただ。みんなただ生きるんだって。
何で死ぬのか聞いたら、疲れたって言うだろう。
苦しくて悩んだ。うんざりする痛みを歓喜に変える方法を学んだことはなかった。痛みは痛みにすぎない。
そうするなって自分を促した。
なぜですか?僕は何で自分の思うままに終わりも決められないんですか?
何で辛いのか探せと言った。
すごくよく分かってる。僕は自分のせいで辛い。すべては僕のせいで、僕がダメだからだ。
先生、この言葉を聞きたかったんですか?いいえ。僕は間違ったことなんてない。ゆったりした声で僕の性格を責めるとき、医者はすごく簡単だと思った。
何でこんなにも辛いのか不思議なほどだ。僕よりも辛い人たちもちゃんと生きてたのに。僕よりも弱い人たちもちゃんと生きてたのに。違うみたいだ。生きている人の中で僕より辛い人はいないし、僕より弱い人はいない。それでも生きろと。
何でそうすべきなのか何百回聞いても、僕のためではない。お前のためだ。僕のためでありたかった。

お願いだから、知らない口を聞かないでください。何で辛いか探せなんて。何度も言ったじゃないか。何で僕が辛いのか。それでこんなに辛くちゃ駄目なのか?もっと具体的なドラマがないといけないの?もっと事情がないといけないの?
もう話したじゃないか。もしかして、聞き流したんじゃないのか?打ち勝てるものは傷跡として残らない。世の中とぶつかり合うのは、僕の役目ではなかったみたい。
世の中に知られることは、僕の人生ではなかったみたい。
だから、全て辛かったんだ。ぶつかったから、知られたから辛かったんだ。何でそれを選んだんだろう。笑えることだ。

今まで耐えてきたことが偉いよね。
他に言葉がいるかな。ただお疲れ様って言ってくれ。
これだけよくやったと。ご苦労様って言ってくれ。
笑えなくても、責めながら見送らないでくれ。

お疲れ様。
本当にご苦労様。
さようなら。

 

引用おわり。

 

 

これを読んでほんの数ヶ月前の自分を思い出した。

自分も死ぬ一歩手前だったのだと思う。

 

遺書にあったように、ドラマ性のある理由など無かったが、とにかく生きるのが辛かった。ほかの人から見れば私はただの根性無しだろう。自分より辛い人なんてたくさんいるが、生きている。だけど私は特別弱い人間で、この世の全てに対して恐れをなしていた。

そんな弱い自分が普段の明るい自分とあまりに乖離していて、世間には隠すしかなかった。

 

毎日が苦しかった。この時には明確な理由が無くとも、ところ構わず涙が出てきて止まらなくなっていた。わけもなく職場で泣いていると上司に「大丈夫か」と声をかけられるが、大丈夫なはずがない。でも大丈夫としか言えなかった。

仕事だって手につかず、文章を考えようとしても鬱が思考回路を食ってしまい、何も考えられなかった。

 

薬を飲んでいたが変わらず、毎日が苦しかった。次第にこの苦しみから解放されたいと願うようになった。苦しみから解放される方法、それは死ぬこと。

死にたかったわけではない。ただ解放されたかっただけ。結果的にそれが死ぬことでしかなし得なかっただけだ。

 

いつしか自分の頭の中で「死んでしまえば楽になる」という自分と「生きなければだめだ」という自分の二人が争うようになった。

夜になると、死ぬべきという悪魔のような自分が暴れだし、鮮明に自分が死ぬ時の映像が浮かぶ。幻覚とはまた違うが、目を閉じれば首を吊ったり、風呂場で血まみれになったりして命を絶った自分の映像が浮かび怖くなったのを思い出す。

 

医師に相談したところ「死にそうになったら頼れる友人に連絡を取りなさい」と言われた。信頼できる人たち5人ほどに理由を説明して、もし本当に死にたくなったら私から連絡するから死なないよう諭して欲しいという旨と、電話に出られずその後私が本当に死んでしまったとしても自分を責めないで欲しいという旨を話した。

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みな快く引き受けてくれた。きっと聞きたいこともあったろうに、何も聞かずに「いいよ」と言ってくれた。

最初は「メンヘラ」という一言で片付けられてしまうかもしれないと恐れ、相談するのをためらっていた。でも周りのみんなは思ったよりもあっさりと受け入れてくれた。本当に優しかったし救われた。感謝の言葉しかない。

 

また、時々自分の中で「生と死」に関する疑問に悩まされる時もあった。その度に、答えへのヒントを持っていそうな人に知恵を借りた。こんなにくだらない質問にも親身になって考えてくれて、納得できる助言をたくさんもらった(プライベートな内容だから頂いた返信は載せられない)。

とても励まされた。

今でも答えは見つからないけど、それを考えるために与えられた「生」なのかもしれない。

 

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というように、私も数ヶ月前は生きられないかもしれないと思ったけれど、今は生きている。

(半年ほど前のこと。死ぬ方法まで決め、会社を欠勤し遺書を書きいざ首を吊ろうとしたところ、一年ぶりに弟から連絡がきて遺書を書くのがめんどくさくなってやめたという未遂に至らない未遂事件もあった。その後心配した会社の上司と先輩が家に来た。とんだお騒がせ人間である)。

 

死にたいと思う人は、医師でもなく親でもなく、友人に相談すればいいと思う。友人がいなければ、親でもいい。踏みとどまらせてくれるはずだ。

それでも死にたいと思うならば、その人にとって生きることよりも死ぬことの方が幸せかもしれないから、こちらからは何も言えない。より幸せになれる選択をする権利は誰にでもあるだろう。

でも、やっぱり私は生きていて欲しいと思うな。なんなら私が相談乗るし。

どうか一人で抱え込まないで欲しい。死が最善の選択だなんてことはおそらくあまりないはずだから。

そして、医師が合わなければすぐに変えること。私も1度病院を変えた。その先生はとても良い人で、カウンセラーでもないけど話をよく聴いてくれた。

薬はあくまで対症療法。一番は人に話を聞いてもらうこと。カウンセラーでなくても構わない。だけど友人や親や職場の人は心理学のプロではないから、話を聞いてもらうだけにするのがよい。万が一耳障りの悪いことを言われても、「プロじゃないから仕方ない」と割り切ればいい。

 

病気をよく知らない人たちからは「気の持ちよう」「気分屋」だとか言われたし、同じような病を持つ知人を「根性が足りない」と言う人もいた。

恨みはしない。理解せよと強制もしない。五体満足で生まれた以上身体的障害をもつ人の本当の悩みや苦労を真に理解することは難しいのと同じだ。

 ただ、こういう人もいるんだよと知って欲しい。

 

 

そんな感じのお話でした。

今はとても元気。今後どうなるかはわからない恐怖と戦っているけど、再び同じような状態になったらなんとかしたい。

 

【追記】

頂いたはてなブックマークのコメントへの返信。はてブの使い方やマナーがよくわからないので、ここで返事をさせていただきます。


id:mituki383 周りの人に恵まれていたんですね。必ずしも頼れる人がいるとは限らないけど自分の為に遅くまで起きてくれたり、会社の上司が心配してくれるなんてめったにない環境だと思います。あなたが生きていて本当に良かった。

 暖かい言葉をありがとうございます。

本当に恵まれていると思います。ここに書いていないだけで本当はもっとたくさん色んな人に救われています。そしてmituki383さんのコメントを読んで、やはり救われました。幸せ者です。苦しみも生きているうちしか感じないけど、幸せも同様です。生きていて良かったです。

 

id:koenjilala 確かに人に話を聞いてもらえるのはいいね。私の場合は対人恐怖があったのでむつかしかったけど。あと、相手を選ばないと変に励まされたりするからしんどいね。私の場合は合う薬と医師と環境の変化が一番の治療だった

 

コメントありがとうございます。相談する人は選びました。あまり大人数に伝えるのもかえってつらくなりそうなので。伝えた人はみな「頑張れ」とも言わずただ話を聞いてくれたので良かったです。

医師選びは本当に重要ですね。最初の医師には鬱と診断されましたが、今の担当には双極性障害と言われました。性格の合う合わないもありますしね。

 

id:reloadoz 涙が出ました。ありがとうございます。生きていてくれて、ありがとうございます 

 

 こちらこそ暖かい言葉を頂きありがとうございます。顔も名前も分かりませんが、とても優しい人なのだと感じます。

 

id:tenkinkoguma あなたが生きることを選んでくれ続けていてくれてよかった。私も同じ立場。友人がいないもので精神科医とカウンセラーが支えです。お蔭様で相性のいい人にあたって助かってます。 

同志(といっていいのでしょうか。でもうつ病を治すという志を持っているからそう呼びます)がいると心強いです。友人でなくとも話せる人がいるというのは良いことですよね。もし何かあれば私も力になれればと思います。

 

id:sirocco 死にたくなったら私から連絡するから死なないよう諭して欲しいと頼む。頼める人がいてよかったですね。ネガティブなことを隠し、自分一人で苦しむタイプだと難しそうですが。匿名ブログで吐き出すのも効果ありそう

本当によかったです。今は同じような病の友人と電話などで連絡を取ったりして悩みを打ち明けあったり、日常の報告をしています。ため込まないことが大切ですが、それができていればそもそも鬱になる人はいないかもしれないですね。友人がいれば、ハレーションを気にせずにとりあえず言ってみることが大切だと思います。こうしてブログに書くのも良いですね。私の場合はFACEBOOKにもリンクしてあるので友人も読んでくれているのですが。

 

 

こんな感じでいいのでしょうか。

なんか返信方法を間違えている気がするけど、よくわからないので本文にて返信しました。

こんな夢を見たシリーズ1

夢なので支離滅裂。

起きてすぐ箇条書きにしたのをまとめた。

2017/12/17の昼に見た夢

 

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ある日の昼下がり、私は街を歩いていた。東南アジアの市場のようにごみごみしていて、少し考え事をしてぼうっとしているだけでも過ぎ行く人と肩がぶつかりそうだった。

昨日は友人とお酒を飲んでいて頭が痛い。こめかみから目の奥にかけてが痛むので、早く家に帰りたい。そもそもなぜ街に出てきたんだろう。

 

ラーメン屋に立ち寄り、券売機で豚骨醤油を購入した。セルフサービスの水を注ぎ席に座る。ごくっと水を飲みほした。ラーメン屋で飲む水が美味しく感じるのはどうしてだろう。いつも何杯も飲んでしまう。そのおかげだろうか、先ほどの頭痛は幾分おさまり、同時に陰鬱な気分もどこかに消えていった。

ラーメンを食べ終えると、のそのそと公園に向かって歩き出した。

 

私は仕事をしていた。パソコンに向かってただ拙い文章を書くだけの仕事。これほど退屈なものはなく、いつも散漫になって15時ごろになると睡魔が襲ってくる。こんなことを繰り返すだけのネジの巻かれたオルゴールみたいな日々に嫌気がさしていた。このつまらない日常を打破してくれるような事件が起きてくれないかと不謹慎ながら願ってしまう。定型的な人生を破壊してくれるならばミサイルでもなんでもよかった。

 

今日も仕事をしていた。当然ミサイルは落ちてこない。退屈だった。

いつも暇になると頭の中である想像をした。学校の教室にテロリストがやってきて、騒然となった教室でただ一人自分だけが冷静でいる。そして私はテロリストたちに立ち向かうという妄想。小学生頃思いついたのでなんとも稚拙な内容だ。しかし、このことを頭に浮かべている時はとてもわくわくして気持ちも高揚する。

 

思いを馳せていたその時だった。女が職場に入ってきた。

染めていない髪の毛は腰まで伸びていて、前髪は目の上あたりでまっすぐに切りそろえられている。ハイネックに黒のスキニーパンツ、そして赤い口紅。私は彼女に見覚えがあった。以前付き合っていたサチコ。

彼女はつかつかと私の方に近づいてきてこう言った。

「やっと見つけた。」

 

学生時代付き合っていた彼女とは良くない別れ方をした。私が一方的に別れを告げて連絡先も何もかも消してしまったから、もう会うことも無いと思っていた。

でもサチコはここにこうして立っている。

バッグからナイフを取り出すと、その切っ先を私に向けこう言った。

「死ぬまで一緒だよ。」

 

寺山修司の詩は好きなくせに一般人が寺山修司ぶって書いた文は苦手

最近思った事たちを脈絡もなくズラーっと並べる。

 

1.寺山修司の詩は好きなくせに一般人がポエマーぶって書いた文は苦手

 

これ、どういうことか分からない人も多いと思う。私もうまく説明できない。

例えば、蓮實重彦の書く文章は好きだけど、他人が蓮實重彦風に書いた文章は嫌い みたいな。

YUKIの歌い方は好きだけど、一般人がYUKI風に歌ってるのを見ると、その歌声が本人と寸分たがわずとも殺意が芽生える に方が近いかもしれない。

 

うまく表現できない…。けどこの感覚わかる人いないかな。

思うに芸術作品というものは、「もの」そのものだけではなくて作者の性格だとか容貌のエッセンスが混ざりあって初めて芸術作品と呼べるんじゃ無かろうか。

だから私がもし吉行淳之介っぽい文章を書いたとしても「ぽい」の域を出ないし、マティスのような絵を描いてもマティスにはならない。

なんか表題とズレてるかも。おわり。

 

 

1.夜中にうるさい私の隣人

 

とてもうるさいわけでもないのでクレームも入れられず。だけど夜中1〜2時に友人とそれなりの声の大きさで会話するのはやめてほしい。木造建築だし壁が薄いのだから。学生さんだろうなあ。

先日は早朝5時まで騒いでいたのでさすがのわたしも管理会社にメールで連絡を入れた。友人から電話で伝えた方が気持ちが伝わるとのアドバイスをもらったので、実行した。後日隣人にやんわり注意してくれるそうだ。

私だってごくたまに部屋でアコギを弾いたりもするけど平日は遅くとも21時にはやめるようにしている。そもそもほとんどは土日の日中に弾くくらい。

 

 

 

1.鬱状態になるときは自己に目を向けがち

 

自己←←←←視線→→→→他人

↑                                     ↑

鬱の時                            元気な時

 

鬱状態の時は自己に気を取られて、他人に目が行かなくなる。

自己にとらわれないためには外に出て空気を吸う必要があるんだけど、そんな気力も失せているから悪循環。引きこもって物事を悪い方向にばかり考える泥沼にハマる。私はひょんなことから沼から抜け出せたので、今のところ元気。きっとまたハマるんだろうけど、鬱状態になった時の自分が立ち直れるようメッセージを書き残してるからある程度大丈夫。

 

1.オッパイとおっぱい。丸とまる。

 

ひらがなの丸みって素晴らしい。

オッパイよりもおっぱいの方が柔らかい感じがしないかい。

 

おっぱい!!

 

1.自炊を始めた

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毎日作ってるわけじゃなくて、週に1,2度。豚の角煮が大好きでハイペースで作ってしまう。豚バラ肉ブロックは高い。

結局自炊と買い食いのどちらが安いかは分からず。

 

極私的ブス論(序)

「ブス」と呼ばれたことのない人は良かったね。

そうでない人は、ご愁傷さま。

いや、私だってブスと言われたことなんていくらでもあるのだが。というか、半ばニックネーム的に呼ばれていた時期もあった。ブスと呼ばれた回数は並じゃない。

 

私にとってブスという言葉はそう嫌な言葉でもない。

ブスと呼ばれるたびに「おいしいポジションだな」と感じていた。

こればっかりは受取手次第で、もしブスと呼ばれることを嫌がっている人に面と向かってブスと呼んでしまったらイジメになってしまう。

今回はブスがブスについて軽く話しているという事を念頭に置いて、暇な人だけに読んでほしい。若干下ネタが入るので読みたくない人は注意。

 

私が真剣にブスについて考えるきっかけになったのは友人との会話だ。

友人の知り合いが、お世辞にも美人とは言えず、平安時代にも需要がないどころかどの時代でもあんまり需要がなさそうな見目形をしているのだが、いわゆるヤリヤリのヤリ◯ンだという。

 

その話を聞いた時、何故ブスが…。と思った。

私は男ではない。だから男だったらという仮定でしか話をすることはできないが、一夜を過ごす相手にブスは選ばない。出来るだけ可愛いか美人が良い。ブスというだけでても繋ぎたくないし、一緒に歩いているところを見られたくない。ましてやシャワーを浴びている姿を想像したら吐き気が出そうだ。

こう思うのは私が女だからだろうか。欲深き男ならばブスが相手でも良いのだろうか。

 

この問いは解けない。なぜなら私の周辺にはワンナイトラブ を狙うような男友達がいないからだ。

もしそういう殿方がいたら教えてほしい。ブスが相手でも良いのか。むしろワンナイトラブ の相手に何を求めているのか。

 

 

これがブスによる極私的ブス論(序)でした。序だから短い。まだ本論に入ってないからブスの定義についても語れていない。暇な時に続きを記そう。

 

夢日記

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たまにその日見た夢をケータイ電話にメモしている。目覚めてすぐ、忘れないうちに。

 

今回はそれをブログにそのまま貼っつけてみる。

ただし個人名が出ているところは●●と表記する。

寝ぼけまなこで打ち込んだから文章になっていないけど、そこはご愛嬌。

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夢2016.11.16

超能力者どうしで殺し合い
小さい頃の私が能力者
なんだかんだで勝つ 
最後に敵と変なおじさんが結婚しておわり

夢3.6
大学?講義を受ける 私
中央に教授 なんの講義か不明
向かいに●●さん(職場の同僚)隣にいた男子学生の口の中に自分の中指を入れる
おどろいた私は●●さんに中指を立てる
しかし●●さんに中指を立て返される

夢3.5
就活の夢。
散々な結果に終わる。
受動的な態度ではなく、積極的に話すべしとのアドバイス

夢3.7
①●●ちゃん(学生時代の友達)と●●くん(高校の同級生)と謎の男の子(お相撲さんの息子。群馬在住)と●●と●●さんが我が家に遊びにきて焼き鳥パーティ。現実の私の部屋より広い。
②家に宅急便の配達員が来た。爆笑問題太田光だった

夢3.9
●●と(親友)謎の街へ旅行
蒲田から電車でてる。
リゾート地のようだ。
鈍行で行こうとしたら、座っていきたいからという理由で3400円の特急券を●●が買ってしまった。私も仕方なく特急で。
全面ガラス張りの特急で絶景だった。
夢3.17

職場の他部署の先輩、●●さんがこの秋結婚するという夢をみた。
普段関わりはあまりないがなんだか寂しい気持ちになった。
夢 3.21
母と成田山新勝寺へいく

夢3.22
●●ちゃん(アイドル)と仲良くなる。女同士だけど付き合っているのではないかというくらいに仲良くなる。寝泊まりを一緒にしている。同郷だという話しで盛り上がる。彼女も千葉出身らしい。いまだに実家から通っているそう。髪の毛を一緒に切りに行ったり、ステーキ食べたり、マッサージに行ったりした。

夢3.24
●●さん(転職した先輩)の友だちと偶然出会う。
丸メガネを眼鏡をかけた服装もお洒落な人だったけど、ニット帽を取った瞬間その人の体がいきなり太った上、頭もはげていたので
とてもびっくりした。しかも塩顔からスラブ系の顔に変化……

夢3.25
デパートの化粧品売り場で、何度もなんども口紅を試し塗りする私。
試し塗りしすぎて唇が痛い。

夢4.1
高校のクラスの殺し合い授業。
毎時間クラスの中で4人が選出されて、1人を残して3人死ぬまで、戦わされる。
それを残りのクラスメイトで見学する。
私は選出されなかったので生き残った

夢5.5
①△△で●●(元々付き合ってた人)とシェアハウスする夢。△△にしては賑わっていた。
②日本国家秘密基地に潜り込む。地下で労働者たちが奴隷の如く働いていた。

夢8.5
寺山修司の世界的夢
村のようなところ。そこの住民らしき男性の父が危篤になったらしく住民らが集まっている

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 なかなか面白い。

普段想像もしないことが眠っている時頭の中に浮かんでいると思うとワクワクする。ゾンビに追いかけられるような怖い夢も見るけど、ある程度自由自在に目を覚ますことができるので心配無用。

 

夢の世界を現実だと思い込めればいいなあと思う事も多々ある。そうすれば現実がどんなにつらくても生きていける。

いっそマトリックスのようになったらどうだろう。そうすればどちらが仮想世界でどちらが現実世界なのかわからないもん。

 

今日は会社を休みます。

最近ブログ書きすぎだなあと思うけれど、吐き出せるのはノートかここくらい。ノートは人に見せることがないので汚い言葉が羅列してあるだけ。ブログは人に読まれているだろうという意識が働くため、それなりに考えながら文字を打ち込める。ゆえに頭の整理ができる。ここは整理の場。

 

最近、満員電車に乗るのがつらい。冷や汗をかく。他人の背中に自分の背中が触れるのがとても不快だ。

街を歩けば大勢の人。ぶつかりそうになる。自分のペースで歩けない。東京の人は早歩きだというけれどそうじゃない。圧倒的に人が多いんだ。

会社に着けば自分を作らねばならない。好き勝手やってきたつもりだったけど、そうじゃなかったようだ。やっぱりキャラクターを作っていた。しかしもう疲れた。

ここ最近、会社でも涙が止まらない現象が再発してとても鬱々としていた。

そんな陰鬱な気持ちをごまかすように深酒したあと、泥のように眠った。朝目覚めると陰鬱な気持ちは残っていた。酒はダメだねえ、やっぱり。

ベッドから起き上がる気力もなく、いつもならシャワーを浴びて化粧をしている時間も過ぎてしまった。今日は会社を休まなきゃいけない日だと思った。会社に電話を入れた。

かといって何もすることがないし、無気力だ。ぼーっと天井を眺めていた。そしてストンと眠りに落ちた。

目が覚めたら昼の時間になった。冷蔵庫には何もないので、ラーメンを食べにいった。そのあと区役所に自立支援の申請にいった。申請が通れば精神疾患関連であれば医療費が1割負担になる。しかし、医師に書いてもらった申請書の有効期限が過ぎており、成らずといったところだ。また三千円払って医師に書いてもらわねばならない。無駄なことをした。

こうやって自立支援の申請に行くと「健常」でないことを思い知らされる。口ではどうとでも言えるが、こうやって診断を下され向精神薬や精神薬を処方されている以上、私は紛うことなき精神病患者なのだ。しかし、診断を下されるのが嫌だからという理由で病院に行かないのは賛同しかねる。つらいならば行くべきだ。社会的信用を失ったり、死んでからじゃ遅いぞ。迷っている人がいるならそう言おう。

 

区役所帰りに薬局に寄った。トイレのタンクに入れる青い芳香剤を2つ買った。あれがあるのとないのではトイレの汚れ具合が違う。1つで一カ月は保つから良い。近所に薬局があって本当に良かった。家に着いたらまた眠気が襲ってきた。抗うこともせず、睡眠欲に飲まれることにした。

 

書いていて飽きてきたなあ。

どんなことでもいつも途中で飽きてしまう。最初から最後までやり遂げたことがない。それは人生も一緒だ。終わらせるのには体力と決意が必要だからやらないだけで、投げ出したい。投げ出したら楽になるだろう。

自分自身を救えるのは最終的には自分だけだけど、救いの手助けがもっと欲しかった。親にも相談できず、周りの友だちにもちゃんと相談できず、会社の人に言うこともやめた。相談できるのは、似たような病気を抱えてる人だけだった。周りの人に対して「どうせ私の気持ちなどわからない」と心を閉ざしたのは私の方だ。抜け出そうとする努力を怠った。

 

ま、とりあえず、心の中では明日も会社を休むことにするね。

ワタシ人生年表

1992年 千葉県で生まれる。名をばヨシオとなむ言ひける。

 

1995年 弟が生まれる。同じ頃、入院している叔母の見舞いに行き院内の階段で転倒。覚えているのは多量出血と激痛。病院にたらい回しにされた挙句、外部の歯科医院に行くも既に時遅し。ヨシオの前歯の神経は既に無くなっていた。

3歳に満たないながらも、病院のお役所的たらい回し対応と融通の利かなさに憤りを覚える。

 

1997年 身長の伸びが早かったヨシオ。同世代の女の子たちより頭一つぶん背が高かった。この頃の将来の夢はお花屋さん。

父親の下手な演技のせいでサンタクロースは存在しないことを知り激怒。風呂場で泣きながら「サンタさんはいなかったんだ!」と叫ぶ。ちなみにこの時サンタになりすましていた父がくれたのはニンテンドー64

 

1999年 歯を題材にした作文で表彰され盾をもらう。主題はやはり、忌まわしい転倒事故で神経が無くなったあの前歯。抜けて生え変わるまで、黒ずんでいる上、目立つ箇所に生えていたために幼少期の私の自意識に暗い影を落とした。

 

2000年 また歯の作文で表彰される。もはやテーマは覚えていない。

 

2001年 校内長距離走大会で銀メダル獲得。前年の順位は下から数えた方が早かったが、水泳を始めてから体力がついたのだろうか。

 

2002年 日韓ワールドカップでオリバー・カーンに惚れる。授業中は試合の結果がばかり気にするようになる。

校内長距離走大会でついに金メダル獲得。あとは落ちるだけ。

 

2003年 愛猫チビが天に召される。お墓を作り弔う。

 

2005年 中学入学。ロックに目覚め反抗的になる。むき出しにする訳でもなくただ心の中にのみとどまる静かな反抗。親や教員の言うことすべてが軽薄に感じられるようになる。

太宰治人間失格』を読み、自分は道化ではないかと悩み始める。

 

2006年 部活中、過呼吸で倒れたのをきっかけに精神世界に入り始める。ついに引きこもりに。カントやニーチェフロイトユングらの哲学書並びに『悲しみよこんにちは』『かもめのジョナサン』『ベロニカは死ぬことにした』『地下室の手記』などの海外文学にハマる。中二病の一言で片付けて仕舞えば早いが、この頃はやっぱりおかしかったのだろう。

 

 

2007年 相変わらず引きこもっていたがたまに外に出て学校をサボっている他校の生徒と交流し始める。高校に行く気は失せていたものの、説得され進学することに。

中2中3の途中から一切勉強していなかったため、頭がすっからかんになっていた。完全なる自業自得ではあるが、これまた私の人生に暗い影を落とす。教育の基礎部分な抜けてるって大変なことなんだよ。建物と同じで、基礎ができてなきゃなんも建てられないんだから。実質中卒未満の学力だという認識が自分の中に今でもずっとある。

 

2008年 精神が弱すぎて入学してすぐ発熱。しかし宿泊オリエンテーションには無理やり参加。しかし1日目は寝たきり。

 

2009年 またもや学校に行く気が失せ始める。たまにずる休みをする。

 

2010年 精神が弱すぎて内部進学テストの直前に40度の発熱。点滴を打ってなんとか受験。熱が完全に引くまで2週間かかった。

 

2011年 震災。地元の電車が断線し、2週間不通。復帰後もしばらくは2時間に1本しか通らなかった。そして大学入学。ファッションのダサさに磨きがかかる。

 

2013年 朝はコンビニ、夜は居酒屋のバイトの掛け持ちを始める。一日中働いていたので通学が面倒になる。

 

2014年 教育実習に行くも自分の社会不適合ぶりに嫌気がさす。その後卒論を書くために国会議事堂前駅までの定期を自費で購入するも、国会図書館にはほとんど通わず、国会議事堂前を散歩するだけの日々。

 

2015年 入社。社会人とはこんなものか、と現実を知る。思い描く丸の内のOLとは程遠かった。

 

2016年  一人暮らしを始める。自由を手に入れたことが、逆に不自由にさせるのではと思う。

転職を考え始める。

 

2017年 何もかもがどうでもよくなる。

 

to be continued ...

 

振り返れば学校行きたくないとか、仕事変えたいとか言って逃避したり、場当たり的に何かやってみたりとかそういうどうしようもない人生だけどなんとかやってます。人生から逃げようとしたけど、失敗したので、これは誰かが逃げるなって私に言ってるってことだと思う。 年表をいつまで書き足せるか楽しみです。