駄文

個人的備忘録

友人と街コンに行ってきた(悟り編)

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婚活パーティーに行くのをやめようと決意したのはついこの間。

しかし先日、友人と街コンに行ってしまった。

街コンならば……婚活パーティーとは違うのではないかという淡い期待を抱いて。

 

参加したのはどんなやつだかよく覚えていない。ただ、男女の年齢差があまりないようなやつだったと思う。

 

結婚デッドゾーンに近づいているという無意味な固定概念から、前日にノリで参加を決めた。

 

結論、良い人はいなかった。

 

街コン専用アプリ(登録するのがめんどくさい。終わってから即削除した。)を使って、最後に良いと思った人に投票するシステムなのだが

私も友だちも一切投票しなかった。

我々に投票してくれた人たちは何人かいたけど。

 

 今回の総括。私たちに恋人ができないのは、そもそも深層心理では恋人が欲しいと思っていないことと、男性に理想を抱きすぎ(アイドルとかゲームの中の男性が好きだから全てがそれ基準)なのだと分析した。

その殻を破れば街コンや婚活パーティーなんて行かなくても然るべき時にポンと出逢うはずだ。気負わず取り繕わないでありのままで生きれば、この先雄鶏との出逢いはあると信じたい。

破ろう、殻。羽化しよう、ひよこ。産もう、美味しい卵。

 

比内地鶏〜〜〜〜!!

私は比内地鶏になるのです。悟りました。みんなも比内地鶏になりましょう。

そして美味しい親子丼を作りましょう。

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ちなみに、男の人よりも同じ席になった女性二人組と仲良くなって連絡先を交換した。なんでこの人たちに恋人がいないのかと不思議に思うくらい可愛いくて良い人たちだった。ぐぬぬ…私が男ならば…!

このように世の中には恋人がいない素敵な男性と女性がたくさんいると思うから、こういう人たち全員がバッタリ街で出会ってそこから何か生まれれば世の中みんなハッピーになれるのにうまくいかないねぇ。

 

街コンに参加している男性の容姿のレベルなど、参考にしたい人もいると思うので一応言及しておく。

身長170㎝の私がかなり大きく見える。

身長限定がないものを選択したからだろう。街コンは男性の身長を175以上限定などにしたものが多いので、低身長の人はこういうのに集まる傾向があると考えられる。高身長の男性が好きならば、限定モノに参加した方が吉。

 

そして、この前の婚活パーティーの方が、雰囲気も参加者も落ち着いていた。

それこそ参加する種類によってまちまちだと思うけど、私のこの少ない経験が参考になればこれ幸い。

 

街コン自体よりも、こうやって感想を書くことが楽しいから非モテ女の街コン感想ブログを開設してレポート書こうかな。そのブログが10年ぐらい続いてたらみんな察して欲しい。あ、こいつ色々諦めて吹っ切れたな、と。

 

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セブンの親子丼おすすめ!!

 

 

干物女が街コン(婚活パーティー)に行ってきた

 

M君「ぼくは男だからまた違うけど、君は20代のうちに結婚して子供産もうと思ったらそろそろ相手見つけないとやばいんじゃないの」

 

私「確かに」

 

先日友人と話していてこういう話になった。

もともと後輩から1人でいくタイプの街コンを勧められており、興味を持っていたので1人参加タイプの婚活パーティーに申し込んだ。

 

参加費は女性1000円。男性は7000円。男女差がありすぎて結婚に対する本気度にもギャップが生まれてしまう気がする。安いから私のようなお試し感覚の女性がまぎれるわけだ。もっと女性の価格設定をあげれば、本気の女性がたくさんくるんだろう。そんなことは男性側もわかって来ているかもしれないが。

 

 

さて、私の婚活クエスト体験版が始まり始まり。

 

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仕事を終えていざ現地に。

いきなりプロフィールシートを記入させられる。

内容は 名前、身長、職業、住んでいるところ、趣味、好きな異性のタイプなど。

身長を書くのかよ!見ればわかるだろ!というツッコミを心の中で入れつつ書き込む。そして受付は終了。

適当な席に座るよう指示があったので奥の方の席に着席。

 

部屋はきちんとした仕切りがあり、男女1人ずつ座れるようになっている。部屋といってもドアはついておらず密室ではない。そうだとしても知らない男の人と肩が触れ合うような距離で座るのはキツイ。異性と2人きりでいるのに慣れていない干物だからだろう。場数を踏むしかない。

 

全員が着席し終わったらトークタイムスタート。

異性1人2分ずつ×10回くらいを繰り返す。

せわしない上、初対面と話すのを繰り返すのは中々に精神を削られる。2分しかないからロクな話もできない。

誰と何を話したのかも覚えていないし、印象がないまま席替えタイムになってしまったので良いと思える人もいなかった。

 

しかしこれは婚活パーティー。

アピールカードというものが2枚ある。自分が良かったと思う男性を2名選び、そのカードをスタッフを通して当該者に渡してもらわねばならない。(アピールカードにはLINEのIDや電話番号、メールアドレスを書く欄もある)

しかも最後に喋った異性が隣に座っている場で。お互い気まずい。

 

私「誰もいねぇ!!!!!!!誰かの名前書かなきゃいけないんですかねー?」

 

隣の人「せっかくだから書いた方がいいでしょー。」

 

私「ですよねー。」

 

というわけで、適当に公務員2人を選んでカードをスタッフさんに渡した。

 

ちなみに私、5枚ほどアピールカードをいただいた。

公務員のうちの1人(割と顔が整っている)も私にカードをくれたようだ。

 

アピールカードを受け取ったら、それを参考にして、最終的な結論を出す。もし自分の選んだ人が自分を選んでくれていたらペア成立となる。ちなみに第5候補まで記入可。

 

またしても選ぶのがキツイ。

 

私「いやー。本当にいい人いないです。」

 

隣の人「それじゃ来た意味ないじゃん。」

 

私「ですよねー。」

 

 

というわけで公務員を選んで終了。

 

運命のペア発表タイム。

 

「女性25番と男性30番の方!」

 

「女性34番と男性36番の方!」

 

………

どんどんペアが呼ばれていく。

 

スタッフ「次が最後です。」

 

ああ。私は選ばれなかったか。悔しいような、ホッとしたような。

 

「女性21番(私)男性37番(公務員)の方!」

 

選ばれてしまった。ホッとした瞬間、選ばれてしまった。 嬉しさはほとんど無かった。

 

結局、居酒屋で話したけれど

合う人ではないなと感じ、後日向こうから連絡がくるも無視してしまった。

 

相手は見つからなかったけど、学ぶものが多かった婚活パーティーだった。

これから参加しようとしている人に言いたい。男の人は本気で結婚を考えている人も多そうだから、生半可な気持ちで参加してペア成立しちゃうと罪悪感が凄いよって事。ペア成立したのに連絡を切るって、向こうからしたら失礼な話だしお金返せって感じだもんね。私もいま非常に申し訳ないと思っている。(でもあのシステムだと誰かに投票するしかないからさーーーーーーー)

 

ちなみに参加している男性の年齢は26歳が1番若くて、35歳くらいが多かった。職種は公務員や営業やバンドマンなど様々。

 

という感じ。

以上婚活クエスト体験版でした。

まだ結婚を焦るような年齢でもないし、1人で趣味に没頭している時間の方が好きだと再認識させてくれた。

ありがとう、婚活パーティー。

誘われでもしない限りもういかないと思う。

 

 

【余談】

用を足したくて婚活パーティー会場のトイレに行ったら、女の人たちが必死に化粧直しをしていた。こちとら化粧道具すらもってないぜ。

文士の時代

大学生の時に買った本がある。『文士の時代』という本だ。

 

 

文士の時代 (中公文庫)

文士の時代 (中公文庫)

 

 

昭和に活躍した文豪たちの写真と、カメラマン林忠彦氏と彼らとの思い出が綴られている文庫本で、これがなかなか面白い。 国語の教科書で使われているような写真も載っている。

 

被写体はさすが文豪ということもあって、写真一枚見ただけでもフンイキというものを感じられる。川端康成志賀直哉は特にそうだ。

 

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 林氏が「鷹のような目」と評する川端康成の目はとても鋭く、見つめていたらたじろいてしまいそうだ。それでいて吸い込まれてしまうような光を感じる。

 

この一冊でかなりの数の文豪の写真が見られるのだが私が特に惹かれたのが田中英光三島由紀夫の写真だ。

 

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田中英光

 

田中英光は教科書に取り上げられるような作家ではない。知らない人は知らないだろう。知っていたとしても、太宰治の死を引きずって、彼が眠る三鷹禅林寺墓前で自殺した人という位のイメージなんじゃなかろうか。私もちょろっとしか知らない。

 

田中英光の人生をまとめると、

兄の影響で共産党に入党し活動。

ロサンゼルス五輪のボート代表選手。

妻子がありながら、愛人と同棲。

太宰治の仕事、薬中毒になる。

太宰治の墓前で自殺。

 

こんなところか。

そして彼が死ぬ10日ほど前に撮られたのが林氏の撮ったこの写真。

林氏はこの時のことを

彼はグラス一杯の水はもらったが、酒は一滴も飲まなかった。 一升瓶に手もかけないのに酔っ払ってくるから変だなあと思ったら、ポケットから睡眠薬かなにかの瓶をひょいと出して、その瓶の半分くらいをドサーッとコップに入れて一気にあおっていた。

と回想している。

 

このステキな笑顔は薬の多量摂取によるものだったのか。

そう言われてみれば、疲れているような顔つき、目のくまなどを見るにロクな生活を送っているとは思えない。

「林さん、もう会うこともないかもしれないけど、太宰さんと同じような写真を撮ってもらったんで、僕はもういつ死んでもいいんだよ」

「縁起の悪いこと言わないでくださいよ。まだ、あなたは若いんだし、これからじゃないですか」

「いや、もういつ死んでもいいんだ」ってしきりに呟いていました。

それから、一週間か10日ぐらいか、まもなくでした。太宰の墓前で、田中英光さんが自殺したとニュースを聞きました。あの夜の情景がうかびあがって、田中英光はやっぱり、あのとき、もう死を決意していたのかもしれないと思うと、あけがたまで眠れませんでした。

 

写真一枚とこの文章を見て、死を決意した田中英光の影を感じ取らずにはいられない。良い写真はすごい。色々感じ取らせてくれるからすごい。ビデオで撮られた動画より、ギュッと濃縮されている。どちらが良い悪いではなく、短歌と小説のような関係性だ。どちらも素晴らしい。

そして残る。太宰治と同じような写真を撮ってもらったからいつ死んでもいいんだと田中英光が言った。barルパンで撮影された太宰の写真と同じような格好できめた田中英光の写真は残る。

 

三島由紀夫

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初めて三島由紀夫のことを知ったのは小学生の頃だったか、はたまた中学生の頃だったか。宴のあと - Wikipedia事件と三島事件 - Wikipediaが社会科の教科書でほんのすこしだけ触れられており興味を持った。その時は好きになるなんて思ってもいなかったし、こんな死に方をするなんて馬鹿げていると思ったが、本を読むうちに変わってきた。一年前後輩に貸した『不道徳教育講座』、はやく帰ってこい。

 

この本で三島の写真は7枚取り上げられている。大体の作家が1,2枚の中、一番多い方なんじゃないか。

 

50すぎてひとかどの人物であれば、下町の職人であろうと、だれであろうと、その中でも一流といわれるほどの人は絶対にどこかいい顔をするんですね。箔がつくというのか、顔に年輪がつくといいますか。(中略)ところが、実に不思議なことに、三島由紀夫さんだけは、この「顔」のきまりが、あてはまらなかった。名声にまだ顔がついていかなかったといえばいいのか。そういう風に感じたのは三島由紀夫さんだけでしたね。

 

これを読んで、三島由紀夫の写真を漁って見てみた。

(ちなみにグーグルであればフィルターをかけないと三島が自決した時の首の写真が出てくるので注意。そこまでグロテスクではないものの、以前引っかかってトラウマを植え付けられた。昔は週刊誌にもこういった写真を載せていたんだから時代の違いを感じる。)

 

三島の顔は貫禄や威厳があまり感じられず、これは若々しいという言葉では片付けられない。

林氏も言及しているが、お坊ちゃん育ちで、元来病弱。体の線も細い。

劣等感が常にあり、自分を大きく見せようとする気持ちが人一倍強かったのではないか。だからボディビルをして体を大きくしようとしたりして。挙げ句の果てには割腹自殺をしてしまった。

もしも彼の身長が180センチくらいあり、筋骨隆々だったら無理に自分を大きく見せようとせず、あんな死を遂げずに済んだのかもしれない。そう思うとなんだかさみしい。

 

歴史や人生に「もしも」などなく、過去を変えることもできないから、「もしも」について考えること自体野暮なんだろう。しかしやっぱり考えてしまうんだ。三島のことだけじゃなくて、ありとあらゆること自分のことも。少しナーバスになった。

 

 

 

 

というわけでとても面白い一冊であります。

顔が好みな吉行淳之介の写真も載っていて嬉しい。詩人だからか萩原朔太郎は載っていない。

 

林 忠彦写真集 日本の作家 (サライムック)

林 忠彦写真集 日本の作家 (サライムック)

 

 

 これと併せて読むともっと良いです。

 

悩むのは悪いことか。

自ら死を選んだ文豪たちの事を一晩中考えていた。

芥川龍之介太宰治三島由紀夫火野葦平川端康成…。

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林忠彦の写真集『日本の作家』より 火野葦平

 

ざっと浮かぶのはこのくらいか。意外と少ない。

 

芥川龍之介は精神衰弱(今で言うとうつ病になるのだろうか)や不眠症を患っていたという。

そんな彼の遺書を読む。

 

 

芥川龍之介 或旧友へ送る手記 (青空文庫)

 

僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である

 

 「将来に対する、ただぼんやりとした不安」

有名な一文だ。

 

また、彼はこうもいう。

 

我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂いはゆる生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦あいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界である。

 

ある時私は精神科医に、なぜうつ病の人間は死にたくなるのかと尋ねたことがある。

その時医者は「もともと死にたい人間などいない。動物の本能は生きて子孫を残すこと。人間も動物であるから例外でない。死にたいと思うのは、うつ病で脳の神経が麻痺しているからだ」と答えた。

 

『或る旧友へ送る手記』を読んで、 「次第に動物力を失ってゐる」「僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界」という部分に少し共感を覚える。

医者が私に言った、うつ病による神経の麻痺は、医学的に言ったら正しいのかもれないけれど、どうも私にはしっくりこなかった。

 私が死にたいと思った時、神経が麻痺しているという感覚よりは、自分の内に神経が向き研ぎ澄まされているような感覚があったからだ。これは麻痺ではなくむしろ逆だ。死にたいと思うこと自体はうつによる麻痺によるものだとしても、その感情に対してはただ静かにひたむきな気がした。

 

と、冷静に悩み自己を分析していられるのもある程度病が落ち着いたからだ。

 

 

話がだいぶそれた。

悩むことは悪いことだろうかと常々考える。

いつも気になることがあると仕事中でもなんでも、感想や感情や疑問を書く用のノートに書きなぐる。

疑問というのは、世の中に対する疑問とか自分に対する疑問とか、本を読んだり映画を見た感想、人との出会いについてなどなんでも良い。

疑問について答えを導き出せるかわからないし、そもそも解なんて存在しないかもしれないけど、自分で考えたり悩み抜いたりして、思いついたことを書く。

なんと面倒な人生なんだろうと我ながら思う。悩むような人間でなければ、きっと心を病むこともなかっただろうし、幸せな人生を送れるかもしれない。

 

しかし悩めるこの気質を嫌いにはならない。

クラクラする程めまぐるしく変化し、だれもかれもが自分を騙して本当の気持ちを変形させながら生きている世の中で(でも本人らは気がついていないのだ)、正直に生きる人間がいてもいいんじゃないか。そして世の中の冷たさや、自分の不甲斐なさ、いろいろなことについて考えて憂いて、人目もはばからず感情のままに怒ったり泣いたりする人間がいてもいいのではないかと思う。いや、いいんだ。わたしはそういう人間が好きだ。悩める人間が好きだ。悩まない人間よりよっぽど好きだ。

 

またとりとめもない内容になってしまった。曲がりなりにも文章を書く職業なのにいつまで経っても成長しない。文章力云々の前に、知性とバックボーンがないからだろう。この悩みも今日ノートに書くことにする。

 

 

『檸檬』を使ったテロリズムのすゝめ

物騒なタイトルだけど、物騒な内容じゃないし、テロリズムもあんまり関係ない。

 

梶井基次郎の『檸檬』をたまに読みたくなる。

梶井基次郎 - Wikipedia

 

【『檸檬』のなげやりな要約】

「ある不吉な塊」に心を押さえつけられている「私」。

そのせいで以前は好きだった丸善(という本屋)も、どんな美しい音楽も詩も、辛抱がならなくなった。

今は汚い洗濯物が干してあったりむさくるしい部屋が覗く裏通りのようやみすぼらしくて美しいものが好きだ。

ある日お気に入りの果物屋で檸檬を1つ買った。「私」は檸檬の形や香りや色彩、その重さが好きだ。檸檬に想いを馳せているうちに丸善の前に来てしまった。今日なら入れる…そう思って丸善に入ってみたものの、また憂鬱が支配する。

「そうだ。」

「私」は本を積み上げ、その上に檸檬を据えつけ、丸善を後にした。

もう十分後には丸善が大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端微塵だ。

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という短いお話。

主人公は気にくわない丸善を爆破して吹っ飛ばす妄想をすることで、愉快な気分になる。

 

これ、私もたまにやる。

檸檬を買って学校の前に置いてみたり、スカイツリーの前に置いてみたり、国会議事堂の近くに置いてみたり、職場の近くに置いてみたり。

 

実際爆発するわけじゃないけど、頭の中で爆発させているからスカッとする。

私の中では爆発しているけど、実際は誰も傷ついていないから良い。オススメ。

「実際は爆発していないわけだから発散にはならないだろう」と言われるかもしれないけれど、妄想の中ではちゃんと爆発しているから大丈夫。妄想から覚めたらまたやればいい。

ポイントは同時に何箇所も爆破させないこと。一つ一つの檸檬を大切にし、想いを馳せていかなければダメだ。

所詮妄想なので、あまりに四方八方手を出してしまうと、妄想力が弱まり爆破するほどの火力が無くなる。二兎追うものは何とやらという奴だ。

 

さあ、みんなも檸檬を片手にレッツ、テロ。

とか言って、テロ等準備罪で逮捕されないだろうな…。施行まであと3週間くらいあるから大丈夫でしょう。なんちゃって。

 

 

補足

テロリズムの定義は「政治目的を達成するため暴力を行使すること」だから

丸善爆破はテロ行為ではないのでは  という疑問を抱く人もいるだろうけど、本を読んだら、これはテロなのではと思う部分があるから一応テロリズム扱いにしてみた。それだけ。

精神障害と仕事。

双極性障害(躁鬱)と診断されて3ヶ月くらい経った。今でも仕事を続けている。

 

まずはじめに、双極性障害がどんな病気かというのを自分のおさらいを含めて記す。(実は私もよくわかっていなかったりする…)

 

最初に行った病院では抑うつ状態と適応障害という診断だったが、病院を変えたら変わった。

精神病は普通の病と違い医師が患者との対話で得た情報で病名を判断するため、その医師のさじ加減で診断が変わることはいくらでもある。

診断が合っていないと薬が全く効かなかったり、はたまた逆効果だったりするから困りモノだ。

 

うつ病抑うつ状態と呼ばれる憂鬱で気分の晴れない状態がおよそ2週間以上続く。

 

双極性障害の場合はうつ状態と、躁状態という気分がハイになる状態を繰り返す。繰り返すスパンは人それぞれ。いつその時がくるかもわからない。

鬱の時は何もかもが憂鬱で、出歩く気も人と会う気も起きない。理由もわからず悲しくなって人目も憚らず泣いてしまう。

躁の時は、全ての景色が鮮明で、ハツラツとしていて、頭に色々なことが思い浮かぶし、色々行動してみようと思える。一見とてもいい事のように見えるが、一方で金銭感覚がおかしくなったり、他者に対して攻撃的になったりもする。

自分の中で、うつ状態の時期と躁状態の時期はなんとなくわかっているから、

躁の時はできるだけ多弁やアグレッシブにならないようにしようと心がけてはいる。それでも躁を抑え込むのは難しいんだけども。

また、 うつ病の薬を服薬すると躁転してしまい希死念慮や自殺願望を引き起こすこともあるという。私の場合は希死念慮が強いため主治医がそこに留意しながら処方してくれる。

 

なかなか難しい病気だ。

一番は療養する事だけど金銭面で不安が残るし、私の性格上休んでしまったら二度と社会復帰ができないような気がして働きながら治療している。

これから一生付き合っていかなければならない病気だけど、決して普通の生活が送れないわけではないとは思う。わたしの考える「普通」の生活っていうのは、

普通に物事に直面しては悩んで

普通に美味しいものを食べて美味しいと言えて

普通に仕事をして

普通に人と出会い、交友の幅を広げ

普通に恋愛をし、結婚をする

そんなところだ。基準が曖昧なだけに「普通」の定義は難しい。

 

こういう病気を抱えていない人が、精神障害を持っている人間を理解するのは難しいかもしれない。それは当たり前だ。私だってガン患者の苦悩は予想することはできても、はっきりとはわからない。

だけど少しだけでも歩み寄ってもらえたら嬉しい。そしたら普通の生活ができる人がきっと増えると思う。お願いしてばかりじゃずるいから、こちらも努めて生きようとしたい。

 

 

金閣寺

大型連休中祖父の家に帰省して元自室を漁ったら高校の時に買った三島由紀夫の『金閣寺』の文庫本が出てきた。

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この写真だと伝わらないけどめちゃくちゃデザインがいい。
同じく川端康成の『雪国』も銀色の表紙でかっこよかったから合わせて買った。

カバーのデザインって重要だ。

中学生の頃、夏目漱石の『こゝろ』と太宰治の『人間失格』の表紙が期間限定でデスノートの作画の小畑健さんデザインのやつになってたもんだから、すかさず買った。
その後に『伊豆の踊子』の表紙が期間限定でジョジョの作者の人デザインのものになっていて、やっぱり買った。
その後、『こゝろ』のカバーが期間限定でこれまたオシャレなやつになってて、迷ったけど買ってしまった。
こゝろ』に関しては人生を通して4冊ぐらい買ってる。しかし読んだのは1〜2回位。
新潮文庫に踊らされているのはわかっているけど買っちゃうんだ。バカだから。

 

引っ越して本の置き場が無くなったからkindleを購入した今、逆説的に紙の本の良さを実感してる。紙の本は神保町あたりの古本屋で死ぬほど安く売ってるけど電子書籍は中古販売って概念が存在しないし、紙を手でめくる感覚も無いのでさみしい。
電子書籍のいいところは青空文庫を使って版権が切れた本を無料で読めるところと置き場に困ることがないところ。

一長一短なんですなあ。