駄文

個人的備忘録

悩むのは悪いことか。

自ら死を選んだ文豪たちの事を一晩中考えていた。

芥川龍之介太宰治三島由紀夫火野葦平川端康成…。

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林忠彦の写真集『日本の作家』より 火野葦平

 

ざっと浮かぶのはこのくらいか。意外と少ない。

 

芥川龍之介は精神衰弱(今で言うとうつ病になるのだろうか)や不眠症を患っていたという。

そんな彼の遺書を読む。

 

 

芥川龍之介 或旧友へ送る手記 (青空文庫)

 

僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である

 

 「将来に対する、ただぼんやりとした不安」

有名な一文だ。

 

また、彼はこうもいう。

 

我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂いはゆる生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦あいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界である。

 

ある時私は精神科医に、なぜうつ病の人間は死にたくなるのかと尋ねたことがある。

その時医者は「もともと死にたい人間などいない。動物の本能は生きて子孫を残すこと。人間も動物であるから例外でない。死にたいと思うのは、うつ病で脳の神経が麻痺しているからだ」と答えた。

 

『或る旧友へ送る手記』を読んで、 「次第に動物力を失ってゐる」「僕の今住んでゐるのは氷のやうに透すみ渡つた、病的な神経の世界」という部分に少し共感を覚える。

医者が私に言った、うつ病による神経の麻痺は、医学的に言ったら正しいのかもれないけれど、どうも私にはしっくりこなかった。

 私が死にたいと思った時、神経が麻痺しているという感覚よりは、自分の内に神経が向き研ぎ澄まされているような感覚があったからだ。これは麻痺ではなくむしろ逆だ。死にたいと思うこと自体はうつによる麻痺によるものだとしても、その感情に対してはただ静かにひたむきな気がした。

 

と、冷静に悩み自己を分析していられるのもある程度病が落ち着いたからだ。

 

 

話がだいぶそれた。

悩むことは悪いことだろうかと常々考える。

いつも気になることがあると仕事中でもなんでも、感想や感情や疑問を書く用のノートに書きなぐる。

疑問というのは、世の中に対する疑問とか自分に対する疑問とか、本を読んだり映画を見た感想、人との出会いについてなどなんでも良い。

疑問について答えを導き出せるかわからないし、そもそも解なんて存在しないかもしれないけど、自分で考えたり悩み抜いたりして、思いついたことを書く。

なんと面倒な人生なんだろうと我ながら思う。悩むような人間でなければ、きっと心を病むこともなかっただろうし、幸せな人生を送れるかもしれない。

 

しかし悩めるこの気質を嫌いにはならない。

クラクラする程めまぐるしく変化し、だれもかれもが自分を騙して本当の気持ちを変形させながら生きている世の中で(でも本人らは気がついていないのだ)、正直に生きる人間がいてもいいんじゃないか。そして世の中の冷たさや、自分の不甲斐なさ、いろいろなことについて考えて憂いて、人目もはばからず感情のままに怒ったり泣いたりする人間がいてもいいのではないかと思う。いや、いいんだ。わたしはそういう人間が好きだ。悩める人間が好きだ。悩まない人間よりよっぽど好きだ。

 

またとりとめもない内容になってしまった。曲がりなりにも文章を書く職業なのにいつまで経っても成長しない。文章力云々の前に、知性とバックボーンがないからだろう。この悩みも今日ノートに書くことにする。